ترجمة سورة التوبة

الترجمة اليابانية للمختصر في تفسير القرآن الكريم

ترجمة معاني سورة التوبة باللغة اليابانية من كتاب الترجمة اليابانية للمختصر في تفسير القرآن الكريم.
アッラーとその使徒は、あなた方信者がアラビア半島の多神教徒たちと結んだ盟約について、関係を遮断し、それを解約されることを宣言される。
多神教徒よ、4ヵ月間は領土内を自由に移動しなさい。その後は、あなた方に何の盟約も安全保障もない。あなた方には不信仰を続ける限り、アッラーの懲罰や応報からの逃げ道もないことを知れ。またアッラーは、信仰を拒否する人びとに現世で、殺されたり捕虜になったりする恥辱を与える方であることを知れ。そして復活の日には、地獄の火に入れられる。これには、盟約を破る者や、期限のない盟約をしている者を含む。そして期限のある盟約をした者には、その期限中は遵守されて、それは4カ月以上であっても守られるのだ。
そして巡礼の犠牲の日に、アッラーとその使徒から人びとへの宣言があって、最早多神教徒たちとは無縁だというのだ。だからあなた方多神教徒が改心するならば、あなた方のために最も善い。しかし背き去るならば、アッラーからもその懲罰からも逃げられないということを知れ。預言者よ、信仰を拒否する人びとには、激しい苦痛が待っていることを知らせなさい。
ただしあなた方信者が盟約した多神教徒たちで、盟約を何一つ破らなかった人は従前の定めの例外である。だから期間満了まで、かれらとの盟約を果しなさい。誠にアッラーは、アッラーを意識する人びとで、盟約を遵守することを含んでその法規を遵守し、裏切りを含んで禁止を避ける人びとを愛する。
禁忌の月々(ズー・アルカアダ、ズー・アルヒッジャ、ムハッラム、ラジャブ)の間は敵にも安全保障をしていたが、それら過ぎたならば、あなた方はどこであれ多神教徒を見つけ次第殺し、またかれらを砦で捕虜にし、かれらの道のりで待ち伏せしろ。でもかれらが多神信仰を改心し、礼拝の務めを守り、自分の富から定めの施しをするならば、かれらはあなたのイスラームの同胞であり、最早かれらと戦うことは許されない。誠にアッラーは、改心する僕に対しては、よく赦される方であり、慈悲深い方である。
もし多神教徒たちの中に殺害や資財(没収の)が問題なくて、その人びとがあなたに保護を求める人があれば、預言者よ、かれがクルアーンを聞くことができるよう保護し、さらにかれを安全な所へ護送しなさい。なぜならかれらは、この宗教の実態を知らない人びとだからだ。クルアーンを聞いてそのあり方を知ったならば、かれらも正しい道に来るかもしれないのだ。
多神教徒たちは、アッラーやその使徒と庇護保証の盟約はできない。ただしあなた方信者が禁忌のあるマスジドで盟約したフダイビヤの協定は別として。かれらがあなた方に正直で、約束違反をしない限り、あなた方もかれらに正直でいなさい。誠にアッラーは、アッラーを意識して、その命令に従い禁止を守る人びとを愛する。
どうして敵側と庇護保証の盟約ができるのか。かれらはあなた方に対し優位に立てば、アッラーを忘れて血縁であれ盟約であれ、あなた方を顧みない。いや、かれらは最悪の罰則をあなた方に適用する。かれらは口先ではあなた方を喜ばせているが、心では拒否している。かれらは約束を守らず、その多くはアッラーに従わず、盟約破りの人びとなのだ。
かれらは野望や俗欲を満たすために、この世のわずかな対価でアッラーの印を売り、(盟約遵守を含めて)かれの道に従うことをせず、また人びとを阻んだのだ。実にかれらの行ないは、凶悪である。
かれらは憎悪の余り、アッラーに対する考慮は欠けており、信者に関する血縁も盟約も顧みない。かれらこそは、不正で敵対的であり、アッラーの則を越える者である。
でもかれらが改心し、二つの信仰箇条宣言をして、礼拝の務めを守り、自分の財から定めの施しをするならば、かれらはムスリムとなり、あなた方の信仰における兄弟である。あなた方と同じ権利義務を持ち、あなた方が戦うことは非合法となる。イスラームを受け入れることで庇護が得られ、生命、資財、名誉が保たれる。アッラーは、啓示を知る人びとに詳しく解明するのだが、それはかれらがそれから受益し、また他人も受益するようにさせることができるからである。
しかしかれらの不戦の盟約の後、その期限内で誓いを破り、あなた方の信仰を軽蔑し攻撃するならば、不信仰者たちと戦いなさい。かれらは、不信仰の指導者であり、かれらにはその命を守る協定も約束もないのである。戦うことで、恐らくかれらは不信仰を止め、また盟約違反や宗教侮蔑をやめるであろう。
信者たちよ、あなた方は自らの盟約や約束を破り、使徒(アッラーの祝福と平安を)をマッカのナドワの館で会ったときに追放しようと企てた人びと(多神教徒)と戦わないのか。かれらこそは、最初にあなた方を攻撃し、クライシュ族の同盟者であるバクルの子孫を支援し、使徒(アッラーの祝福と平安を)の同盟者であるクザーの子孫に敵対したのであった。あなた方は、かれらを恐れて、戦う気がないのか。しかし至高なるアッラーこそ最も恐れるべきである。それはあなた方が信者であるならば。
信者よ、多神教徒と戦え。アッラーはあなた方信者の手によって、かれらを殺し、恥辱を与え、かれらに対して勝利を与え、かれらを捕虜にして、懲罰を与えようというのだ。そうして多神教徒を打ち負かし、信仰する人びとの心の病を癒される。信者たちは、あなた方が殺害し、捕虜を取り、敵を負かして勝利するようなことを見たこともないというのだ。
またこうして勝利を与えて、かれらの心の怒りを取り除かれる。アッラーは、御心にかなう人に慈悲をもって向かわれ、それまでは頑固であっても、改心し赦しを請うならば赦される。ここの最後の部分は、マッカがムスリムによって征服されたときのマッカの一部の人びとのことである。アッラーは改心する人の誠実さを知っておられ、創造において英明で、さらにその運営と法制においても賢明である。
それともあなた方信者たちは、試さないで放っておかれると思うのか。試練はアッラーがいつもされること。あなた方の中、誰が誠実に奮闘努力する人びとかを知るまで試される。かれらがアッラー、その使徒と信者たち以外を擁護者としていないかを確かめられる。また不信仰者とは親しくしていないということも。アッラーは、あなた方の行なうことをすべて知っておられ、何も隠せず、常に報奨はその行為に対して与えられるのである。
多神教徒たちは、アッラーの礼拝所を差配し、出入りすべきではない。礼拝をし、何か良いことをしつつ、一方ではかれらは、多神教などを提示するのだ。これらの人びとは、条件である信仰がない以上、その行いは無益である。復活の日、かれらは地獄の火の中に入り、永遠に住むのである。ただし命が尽きる前に、多神教を捨てて、改心するなら別である。
アッラーの礼拝所を差配する人びととは、アッラーと同列に配することなく、最後の日を信じ、礼拝の務めを守り、自分の財から定めの施しをなし、至高なるアッラー以外の何ものも恐れない人びとだけである。これらの人びとは、まっすぐな道に導かれ、それ以外の不信仰者たちは、そこから最も離れているのである。
不信仰者たちは、巡礼者に水を飲ませることや禁忌のあるマスジドを差配することを、同列に配することなくアッラーと最後の日を信じ、命と富を捧げてアッラーの言葉を最高のものにして、不信仰者たちの言葉は最低のものにするために奮闘努力する人びとの行ないとを、同じだと考えるのか。かれらはアッラーの御元において、同じ美徳を持っているとするのか。そうではなく、多神教で悪をなす者に成功はない。それはたとえかれらが巡礼者に水を与えるなどの善行をしても、信者と同じではない。
信仰して非イスラーム地域からイスラームの地域に移住し、アッラーの道のために財産と生命を捧げて奮闘努力した人びとには、アッラーの御元において最高の位階がある。これらの人こそ、楽園を獲得する者たちである。
かれらの主アッラーは、かれらにその慈悲と満悦、永遠の快適さのある楽園という吉報を与える。かれは絶対に、かれらに対して怒ることはない。
かれらは現世での善行に鑑みて、楽園の中に永遠に住む。アッラーの御元には偉大な報酬があり、その命令に従い禁止からは遠ざかる者であり、かれらはアッラーに専一に仕えるのだ。
信仰する人びとよ、もしあなた方の父と兄弟、さらにその他の親戚が、信仰より不信心を好むならば、信者の秘密を漏らしたり、相談を持ち掛けたりして、かれらを親密な守護者としてはならない。その不信仰にも拘らず、もしあなた方の中、かれらを守護者としたり、親愛の情を示す人があれば、これらの人はアッラーに反抗し、不正を犯す人びとであり、自身に対して破滅をもたらすことになる。
使徒よ、信者たちに言いなさい。あなた方の父たち、息子たち、兄弟たち、あなた方の妻たち、近親たち、あなた方の手に入れた財産、あなた方が増大したいが不景気になることを恐れる商売、あなた方が好む住まいが、もしもアッラーとその使徒、そしてアッラーの道のために奮闘努力することよりも、あなた方にとって好ましいならば、アッラーがその懲罰をもたらすまで待ちなさい。アッラーは、反抗する者が好ましい行いをしても、容易には認められない。
確かにアッラーは、敵や多神教徒たちに対して、多くの戦いであなた方信者を助けられた。それはあなた方の少ない軍勢や準備にも拘らず、アッラーを信じ、適切な措置を取ったからである。あなた方は自分の多勢に満足したのではなかったし、それは勝利の原因ではなかった。しかしフナインの戦いの日、多勢であり喜んで、負けるわけはないと言っていた。だがそれは何も役に立たず、敵が勝利して、大地はこのように広いのに、あなた方には狭くなってしまい、遂にあなた方は背を向けて退却した。
それからアッラーは、その使徒と信者たちの上に、かれの静穏(サキーナ)をもたらし、戦闘での忍耐を与えられた。またあなた方には見えない天使を遣わして、不信心な人びとを死、捕虜、資財没収、婦女子拘束などで処罰された。これが使徒とかれがもたらしたものに反逆したことについての、不信仰者への報いなのであった。
しかし苦難の後、不信仰と誤道を拒否する人については、アッラーはその改心を受け入れる。アッラーは、真実を拒否し不信仰に走った後でも、改心する者はよく赦される方であり、慈悲深い方である。
アッラーと預言者を信じる人でアッラーの定めを守る人びとよ、実に多神教徒は不浄である。かれらの不信仰、不正、責められるべき道徳、そして悪い慣習のためである。だからこのイスラーム暦9年以後、かれらは禁忌のマスジドのあるマッカに大小の巡礼者として入ってはならない。多神教徒たちが最早食料や商品をもたらさないので、あなた方が貧困を恐れても、アッラーがお望みになれば、その寵愛で十分なのである。アッラーは、あなた方の状況をよく御存じで、その計画において英明である。
信者たちよ、アッラーを唯一の主としないで、また最後の日を信じない不信仰者や、アッラーとその使徒が禁じたことを禁じない不信仰者(例えば、死肉、豚、飲酒、利子など)、そしてアッラーの命令に従わない不信仰者と戦いなさい。またそれら不信仰者の中で、ユダヤ教徒やキリスト教徒については、かれらが自ら進んで税(ジズヤ)を納め、屈服するまで戦いなさい。
ユダヤ教徒はウザイルをアッラーの子であると言い、キリスト教徒はマスィーフ・イーサーをアッラーの子であると言う。これはかれらが口先で言うことであり、アッラーによる証明はない。以前の不信仰者のようなもので、天使はアッラーの娘であると言っていた。アッラーはそれよりもはるかに高く、かれらを撲滅するように祈願することとなる。真実から背き、虚偽に向かうとは、かれらは一体どうしたことなのだ。
ユダヤ教徒はアッラーの他に律法学者を置いたし、またキリスト教徒は聖職者を置いて、それぞれがそれらを主として、アッラーが禁止したことを許し、アッラーが認めたことを禁止する。マルヤムの子マスィーフ・イーサーは、アッラーに次ぐ神とされている。しかしユダヤ教徒の学者たちやキリスト教徒の聖職者、そしてウザイルやイーサーは、唯一神に仕える他は命じられなかった。何も同列に配置するものはなく、かれの他に神はなく、かれ以外に崇拝されるものはない。多神教徒たちが言うように同位者があるというのではなく、はるかに至高で清浄無欠である。
様々なグループの不信仰者たちは、偽の信仰を作り、ムハンマド(アッラーの祝福と平安を)を拒否し、アッラーの教えを消そうとする。唯一神とその使徒が真実をもたらしたことを明確に証明するのを妨げる。しかしアッラーはその道を完遂し、明瞭にするのを阻止されることは許されない。他のどの宗教よりもイスラームを高い位置に置かれ、たとえ不信仰者たちが嫌悪しても、お望みのところを阻止することができるものは何もないのである。
称賛されるアッラーよ、導き(クルアーン)と真実の教えをもってその使徒(アッラーの祝福と平安を)を遣わし、イスラームを確立された。たとえ多神教徒たちが嫌っても、証明、証拠、そして法規をもって、すべての宗教の上にイスラームを表わすためであった。
信仰し法規に従う人びとよ、ユダヤ教の律法学者やキリスト教の僧職者の多くは、収賄などで不当に人びとの財産を大食いし、アッラーの道から人びとを妨げている。預言者よ、かれらは金銀を蓄えて、それを喜捨に使って清めようともしない。使徒よ、復活の日、かれらには、痛々しい苦痛のあることを知らせなさい。
復活の日、ため込んで正しく使用しなかった金銀は、地獄の火で熱せられる。そして熱くなったら、かれらの額やわき腹や背に押し付けられる。非難されつつ、これはあなた方が自分のために蓄積したもので、命じられたように支出もしなかったと言われる。また、自らが蓄積し正しく支出しなかったその悪い結末を、味うようにと。
確かにアッラーの御元で1年の月数は12ヵ月で、アッラーが諸天と地を創造された日に、アッラーの書板の中で定められた。その内4ヵ月は、戦争が禁じられている。そのうちの3カ月(ズー・アルカアダ、ズー・アルヒッジャ、ムハッラム)は続いており、1カ月(ラジャブ)は離れている。12カ月あって、そのうち4カ月は禁忌のある月とするのが、正しい生活様式だ。だからその禁忌期間、戦闘して汚して、あなた方は自らの精神に不正をしてはならない。そして多神教徒が全員であなた方と戦うように、あなた方も全員で戦いなさい。アッラーは、アッラーを意識し、命令に従い禁止を守る人びとと共にいて、支援することを知りなさい。アッラーが支援される者たちを負かすことは誰にもできないのだ。
禁忌月のムハッラムを延期することは、イスラーム以前の無知の時代にはあったが、不信心の新たな事例となり、またアッラーの法規を拒否することとなる。これによって、悪魔はさらに不信仰者を迷い去らせる。かれらはある年は禁忌月を合法とし、ある別の年は禁忌とする。かれらはアッラーが禁忌とした月の数と合せるためにするけれど、そうすることで、かれらはアッラーが禁忌とした月を合法としてしまう。悪魔の悪い行ないを、かれらにとってうわべは立派に見せる。しかし事実は、それは発明して禁忌月を延期しているに過ぎないのだ。アッラーは、不信仰の民と不信仰に固執する人びとを導かず、成功させることはない。
信仰して法規に従う人びとよ、アッラーの道のために出征せよと言われたとき、あなた方は慎重になり、家から出たがらないとは、どうしたことか。あなた方はアッラーがその道に奮闘尽力する人びとのために準備された来世の永劫の恵みよりも、現世の一時的な生活と時々の享楽を喜ぶのか。しかし現世の生活の楽しみは、来世に比べればわずかなものにすぎない。一時的なものを永劫のものより好ましいとするような人が、理性を持った人にいるのか。あるいはつまらないものを、偉大なものよりも好むというようなことが。
信者よ、もしあなた方が敵との戦いに出征しないならば、アッラーは敗北と恥辱でもって報いられ、他のアッラーに没頭する民をもってあなた方の代わりにするだろう。かれらは呼ばれれば、戦うために走ってやって来るのだ。命令に背いても、あなた方は少しもアッラーを害することはできない。というのは、あなた方はかれを必要としているが、かれはあなた方を必要としていないからだ。アッラーはすべてに対して全能で、何もかれの意思を弱めるものはなく、かれにとってその道と預言者をあなた方の助けがなくても勝利させることは、いとも簡単なのだ。
信者たちよ、たとえあなた方がムハンマド(アッラーの祝福と平安を)を助けずに、アッラーの道に尽力するというその呼び掛けに答えなくても、確かにアッラーはかれを助けたのである。不信仰者たちにマッカを追い出されて、1人の友と2人(ムハンマドと教友のアブー・バクル(満悦を))でサウル山の洞窟に逃れていたとき、かれはその教友に向かって言った。悲しんではいけない、アッラーは確かにわたしたちと共におられて、支援し助力されるのだ。するとアッラーはその静穏(サキーナ)を、ムハンマドに降ろされ、あなた方には見えないけれど、天使の軍勢でかれらを強めた。そして不信仰者たちの言葉を最も低くし、その教えを救うことでアッラーの言葉を最も高めたのであった。誠にアッラーはその本質と権勢と力において、最も偉力大で、何もかれを負かせることはできず、その企画と命令と法規において、英明である。
信者よ、進軍しなさい。あなた方は難しい、あるいは容易な中で、年齢にかかわらず、あなた方の財産と生命を捧げて、アッラーの道のために奮闘努力しなさい。そうすることが家に引きこもって自分の資財と自身のことに終始しているよりもはるかによいからだ。それは現世と来世に渉って利益をもたらす。もしあなた方が理解するならば、それに従うように。
もし容易な戦利品と簡単な旅をする許可を預言者に求めていた偽信者たちに、預言者が呼び掛けたなら、かれらはあなたに従ったでしょう。しかし敵までの出征の道のりは遠すぎたので、かれらは後に残ってしまった。こういう偽信者たちは、預言者が再び帰るとアッラーに誓うであろう。そしてもしできることならば、一緒に出征したのに、などと言い張るだろう。かれらはアッラーの懲罰に自身をさらけ出して、自分自身を滅ぼしているのである。かれらは後に残り、嘘の証言をしたというのに。もちろんアッラーはかれらが、嘘つきで、偽の証言をしていることはご存知である。
使徒よ、アッラーは、あなたがかれらに後に残る許可を出したことで、赦されるように。なぜあなたは、嘘付きではなく真実を言う人びとに許しを与えるのではなく、誰が真実を言う人びとであり、誰が嘘付きの人びとかが分かる前に、家に留まることを許したのか。
アッラーと最後の日を信じる人びとは、自分の財産と生命を捧げて奮闘努力しないで、家に残ることを許すように、預言者(アッラーの祝福と平安を)に求めたりはしないものである。アッラーは、アッラーを意識する人びとで、あなたと共に出征できない理由があるので後に残る許しを求める人びとを、よくご存知なのだ。
信者よ、アッラーと最後の日を信じない人びとだけが、預言者(アッラーの祝福と平安を)に居残りの許しを求める。かれらは偽信者で心で疑い、かれらは疑いの中に混乱して揺れ動く。かれらは真実に導かれていない。
もしかれらに出征する意志があったならば、そのために準備をしていたはずだ。でもアッラーは、かれらを出征させることを嫌われて、動かされなかったのだ。
かれらがあなた方と出征しなかったのは良かったので、かれらはただ足手まといになるだけで、問題を増やすだけだったのだ。仲間の士気を落とし、疑念を醸し出し、戦列を乱し、分裂の噂を撒いたりする。信者たちよ、そのうちに、かれらに耳を傾ける人も出てくるだろう。信じたり、広めたりして、仲間の議論を紛糾させるのだ。しかしアッラーは、不正を行なう人びとをよくご存知で、かれらは信者の間に策謀を広げて、疑念を信者に植え付ける。
これらの偽信者たちは、タブークでの戦闘の以前にも信者間に不和を求めた。そして企てにより、使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に困難を与えようとした。その戦闘意思を弱めようとしたのだ。しかしアッラーの支援がやって来て、その信者を力づけ、敵を打ち負かした。かれらはそれを嫌がっていたが、過ちが真実を打ち負かすことを望んでいたのだ。
偽信者の中には、虚偽の口実を用いてこう言った人がいた。預言者よ、わたしを家に留まることを許してください。かれらはたとえば、敵側のローマ人女性などの試練に会って罪を犯したくないので、そう願ったと主張するのだ。でもかれらはすでに大きな罪を犯した、それは偽善ということであり、家に留まるということ。復活の日、地獄は不信仰者を取り囲み、それを逃れ、あるいはそれから離れることはできないのだ。
もし使徒に勝利や戦利品などの善いことがもたらされると、それを嫌って、かれらは悲しむ。でも困難や敗戦などの災厄があなたを襲うと、かれらは言う。わたしたちは以前から用心していたのだ、正しい判断をして信者のようには出征しないで家に留まり、殺されもしないし捕虜にもならなかったと。そして人々の向き直っては、その身に安全につき、喜んで背き去る。
使徒よ、これらの偽信者に言いなさい。アッラーがわたしたちに書き記されたことの他には、何もわたしたちにふりかかるものはない。かれは、わたしたちの擁護者で、避難所である。すべてにおいて信頼するお方。信者たちにアッラーに任させなさい、かれはかれらにとって十分であり、最善の擁護者である。
使徒よ、かれらに言いなさい。偽信者は、われわれの戦勝または殉教という二つの善の他に、何を待っているのか。わたしたちは、アッラーからの許しであなた方と戦うならば、苦痛が御自身によるか、もしくはわたしたちの手による死あるいは捕獲で、かれらにもたらされることを待ちましょう。だからあなた方は、わたしたちの結果を待ちなさい。わたしたちも、あなた方の結果を待つ。
使徒よ、言いなさい。たとえあなた方が、本意または不本意に施しをしても、決して受け入れられない。それはあなた方の不信仰とアッラーに対する忠誠心のないためである。
かれらの施しが受け入れられてもらえないのは、3つの理由のためである。かれらがアッラーとその使徒を信じないため、礼拝に来ても気乗りせず無関心なこと、また施しをしてもいやいやすることである。礼拝や施しから、何も得るところはないと考えているのである。
使徒よ、だから、かれら偽信者の財産や子女に惑わされてもいけないし、またはそれらをうらやましく思ってもいけない。それらの結果は悪いものだ。アッラーはそれらを獲得するための困難と障害でかれらを懲罰し、かれらの魂は抜き取る前から、不信心である間に災厄を送られる。永遠の懲罰を地獄の火の一番下の層で受けるのである。
信者よ、かれら偽信者は、アッラーに誓って、本当にあなた方の仲間ですと言うが、隠れては別のことを言うのだ。外見だけを整える。恐れをなし、戦いでは臆病で、戦死したり、捕虜になったりした多神教徒たちに起こったことが、またかれらを襲うと心配する。だからムスリムのふりをするのだ。
もしかれらが、砦や山中の洞窟、地下のトンネルといったような避難所を見出せば、そこに大急ぎで行くだろう。
使徒よ、かれらの中には、施しについて使徒を非難する人がいる。もし施しを好きなだけ分け与えられるならば、かれらは喜ぶが、分け与えられないならば、不満をぶちまける。
もしかれらが、アッラーとその使徒(ムハンマド)が自分たちに与えたものに満足していたならば、こう言っただろう。わたしたちにはアッラーがいれば十分で、アッラーはその寵愛からわたしたちにもっと与えるだろう。また使徒も、アッラーからの賜り物から、われわれに与えるだろう。わたしたちはアッラーだけに、望みを託すと。もしかれらがこう言ったなら、使徒を非難するよりはよほどましだったのだ。
義務的な施しをする対象は、貧乏人(これは仕事柄で少々稼いでいるが、良い生活とは言えない人で、人に注目もされない)、困窮の人(ほとんど何もない人で、誰もがその酷い様子やその苦情からして認められている)、イマームによってこの施しを集金するために遣わせられた人、不信仰者だがイスラームに傾いてきた人でイスラームに惹きつけるべき場合や、あるいは弱い信仰を持ちその強化と悪を未然に防ぐ必要のある人、奴隷(の解放)、無駄使いではなく妥当な範囲の債務者で支払いに窮している人、アッラーの道のために努める人、資金不足の旅人びとのためである。これらに施しが限定されるのは、アッラーの掟である。アッラーは何が僕にとって最善かを全知され、計画や定めに英明である。
また偽信者の中には、使徒(アッラーの祝福と平安を)を侮辱して、かれは何でも親切に聞きとって信じるが、真実とそうでないものの区別ができないと言う人がいる。使徒よ、使徒はかれらにとって最善のものだけを聞き取るのだと返事することになっている。かれはアッラーを信じ、また信者の言うことを信じ、かれらには慈悲が降ろされる。かれを信じる者には慈悲が送られるとしても、アッラーの使徒を阻害する人には、激しい苦痛がある。
信者たちよ、かれら偽信者は、あなた方信者を喜ばせるため、アッラーにかけて誓って、使徒を阻害するようなことは、何も言っていないという。それはあなた方を喜ばせるために過ぎないのだ。しかしかれらが真の信者であって、アッラーとその使徒が喜ぶというのが適切なことなのである。
かれらは知らないのか、アッラーとその使徒に反抗する人には、地獄の火があり、その中に永遠に住むことを。それは大きな恥辱であり屈辱だ。
偽信者は、かれらが心の中に抱く不信仰を露呈する章が啓示されることを警戒している。使徒よ、言いなさい。あなた方不信者は、笑い草にして、教えに反対していなさい。アッラーは、あなた方が警戒している章をもたらして露わにさせるか、あるいは使徒にあなた方の正体を知らせるだろう。
使徒よ、アッラーの教えがもたらされた後に、もし偽信者が信者に対してしていた軽蔑について問えば、かれらは言うだろう。わたしたちは冗談話をして、たわむれていただけであると。使徒よ、言いなさい。あなた方は、アッラーとその印とその使徒を、笑い草にしていたではないか。
言い訳をしてはいけない。確かにあなた方偽信者たちは隠していた後、不信心を茶化したことで、それを露呈した。もしわれらが、あなた方のある一団を悔いたので赦したとしても、他の一団は偽善と改心しないことで罰するであろう。
男性の偽信者も女性の偽信者も、偽善では同じこと。かれらは邪悪を命じ、善を禁じ、その手をこまねいてアッラーの道に支出しない。かれらはアッラーを無視し、従おうとしていない。だからアッラーは、かれらを慈悲の外に置かれた。偽信者、かれらはアッラーに服従せず、真実の道から遠のいていて、アッラーに反して誤道を歩んでいるのである。
アッラーは約束した。偽信者、それから不信仰者らは悔い改めず、地獄の火の中に永遠に住むことを。かれらにはこれで十分な懲罰である。アッラーはかれらをその慈悲から拒否し、かれらには永遠の苦痛がある。
偽信者よ、あなた以前の人びとは、あなた方同様不信仰と茶化す点では同じことだ。かれらはあなたよりも力強く、財産と子女でも上回っていた。かれら以前の人びとはその分け前を享楽し、あなた方偽信者も、あなた方以前の人びとがその分け前を享楽したように、その分け前を享楽した。そしてかれらが無駄話にふけったように、あなた方もふけって、真実を拒否した。また預言者を馬鹿にした。かれらの行ないは、現世でも来世でもアッラーによって無益となったのだ。これらの人びと、かれらこそ損失者なのだ、そして自身の行いから破滅を招くのだ。
かれらには、かれら以前にいたヌーフ、フード、サーリフ、イブラーヒームらの民や、マドヤンそして破滅したルートの諸都市の人びとの知らせが届かなかったのか。かれらには、自分の使徒たちが明らかな証拠を持って来た。使徒が告げたように、アッラーはかれらを罰するのに、不正はなかった。でもかれらは自分自身が不正であり、アッラーとその使徒を拒否したのであった。
男性の信者も女性の信者も、信仰で結ばれて、互いに仲間で助け合う。かれらはアッラーが愛される善、すなわち唯一性を認め礼拝といった儀礼を含むものを命じ、不信心や取引で利子を取ることなどの、悪を禁じる。また礼拝は完全にその務めを守り、アッラーとその使徒に従う。これらの人びとに、アッラーは慈悲を与えられる。真にアッラーは、偉力大で、何も力で負かすことはできない。創造において、また諸事を処理し法規を定め、英明この上ないのである。
アッラーは、男性の信者と女性の信者に、復活の日以降は、川が宮殿の下を流れる楽園の中に永遠に住むことを、約束した。そこでは死ぬことはないし、その喜びは終わらない。また永遠の楽園の中の、すばらしい住まいを約束しました。でも最大なのは、アッラーのご満悦である。これこそが比べようもない成功であり、偉大な勝利である。
使徒よ、不信仰者とは剣で戦い、偽信者に対しては強い論証で奮闘努力し、かれらに厳しく対処しなさい。そうするのにかれらは価するのだ。かれらの最後の審判の日、住まいは地獄だ。何と悪い行き先なのか。
かれらはアッラーにかけて、虚偽の誓いを立てる。何もあなたやあなたの宗教に対して、不信の言葉を言わなかったと誓うが、でも確かにかれらは不信心な言葉を口にし、イスラームを受け入れた後、不信心になったのだ。さらには、預言者(アッラーの祝福と平安を)を殺害しようとも考えていたが、それはうまく行かなかった。かれらは本来嫌われることではないが、アッラーは戦利品を多くアッラーの使徒と信者に与えたということが、アッラーの寵愛によって、かれら信者を豊かにしたことを、不快に思ったのであった。だからもし改心するならば、かれらのために最も善い。でも背き去るならば、アッラーは現世では殺害されるか捕虜になるか、来世では地獄の火という激しい苦痛でかれらを罰する。かれらには懲罰から助けてくれる、擁護者も援助者もいない。
かれら偽信者の中には、アッラーと約束をした人がいてこう言う。もしアッラーが、わたしたちに寵愛を与えるならば、わたしたちは貧者に施しを与え、正しい人の仲間になるだろう。
でもアッラーの寵愛が与えられると、かれらは約束を破り、けちになって施しをせず、信仰に背いて去った。
だからアッラーは、復活の日、かれらがかれに会う日まで、その心の中に偽善を抱かせた。それは懲罰のためで、アッラーとの約束を破り、嘘をついていたからである。
かれらは知らないのか。アッラーが、かれらの内密の相談もご存知であることを。またアッラーが、見えないこともすべて把握していることを。かれらのすることで、アッラーが知らないことはなく、必ずそれは報いられるのである。
信者たちの中で進んで施しを与えるが、少ししかできない人びとを非難し、そんな少しが何の役に立つのかと言って、かれらを笑い草にする人びとこそ、偽信者なのだ。しかしアッラーは、信者を馬鹿にしたかれらを笑い草にする。かれらには激しい苦痛があるだろう。
どれほど赦しを求めようとも、彼らは赦しに値せず、アッラーは偽善者を赦すことはない。彼らはアッラーとその使徒を信じず、アッラーの法に故意に反する。
タブークの戦いに加わらなかった偽善者たちは、使徒に反し、アッラーの道を歩まないことを望んだ。彼らは信徒たちのように自らの富を費やしてアッラーの道に生きることに消極的だった。タブークの戦いは暑い季節の中での出来事だったことから、彼らは仲間の偽善者たちに「暑さの中で進軍してはならない」と言った。預言者よ、言うのだ。「偽善者たちを待つ地獄の炎は、彼らが避けるこの熱よりはるかに熱いのだ」と。もし彼らがそれを知っていたなら。
アッラーの道を踏み外したこれらの偽善者たちについては、短い現世の生活の中で少し笑わせておくがよい。現世で犯した不信仰と罪の引き換えに、彼らは永遠の来世の生活では多く泣くのである。
預言者よ、アッラーによって偽善者たちがあなたの元に戻り、別の戦いであなたと出征する許可を求めたら言うのだ。偽善者よ、罰としてあなた方がわたしと一緒に出征し、戦うことは決してない。あなた方はタブークの戦いに赴かず、留まることを喜んだのだから、病人や女子供と共に留まるのだ。
預言者よ、死んだ偽善者に対しては決して祈りを捧げてはならない。墓地の脇で彼らの許しを懇願してもならない。それは彼らがアッラーとその使徒を信じず、アッラーへの従順を拒絶して死んだからである。
預言者よ、これら偽善者の富と子女に感銘を受けてはならない。アッラーはそれらを通して現世では困難と災害に直面させ、彼らへの懲罰とし、彼らの魂が不信仰のうちに肉体を去ることを望むのである。
アッラーを信じるよう、そしてそこにおける奮闘を命じる章句をアッラーが預言者に啓示したとき、裕福な者たちは留まる許可を求めて言う。弱者や病人など免除された者たち同様、留まらせてください、と。
これらの偽善者は、(出征が)免除された者たちと留まる恥と屈辱に満足する。 アッラーは彼らの不信仰と偽善のために彼らの心を封じており、彼らには自分たちの最善の利益がどこにあるかはわからない。
使徒と信仰者たちは、彼らのようにアッラーの道において留まることはなく、自らの富と命をかけてアッラーの道に奮闘した。アッラーからの報奨として、彼らは勝利や戦利品などの世俗的な恩恵を受けるとともに、楽園で願望が叶えられ、彼らが恐れるものからの救済を含む、来世での恩恵も受けるのである。
アッラーはこれらの信仰者たちのため、宮殿の下に流れる川を備えた楽園を準備された。その報奨は他に匹敵するものは何もない大きな成功である。
マディーナの砂漠地帯に住むアラブ人とその周辺地域の人々の一団は、出征を免除してもらうためにアッラーの使徒へ言い訳をしに来た。また、別の一団は、預言者を受け入れず、アッラーの約束についての信仰も持っておらず、何の言い訳もせず、出征することなく留まった。彼らはその不信仰によって、痛烈な痛みを伴う罰によって苦しめられるであろう。
女性、子供、病人、慢性的な病気や盲目の身体障害者、および出征の装備に費やす金のない貧しい人々は、その合法的な理由により免除され、留まっても罪はない。ただし、それは彼らがアッラーとその使徒に対して誠実で、アッラーの法を実践する限りにおいてである。免除されたこれらの人々の内、善を尽くす人々に罰はもたらされない。アッラーは善を行う者の罪を赦し、彼らに憐れみを示す。
使徒よ、あなたが乗用の家畜を求められた後、「私にはあなた方に与えられる動物がない」と述べたために留まった人々にも同様に罪はない。彼らは自分で、またはあなたから出征のための手段を見出すことができなかった悲しみから、涙を流してあなたのもとを去ったのである。
使徒よ、罰に値するのは、出征のための装備ができる手段を持つにも関わらず、留まる許可を求めている者たちだけである。彼らは、家に居残っている人々と一緒にいることによって、自身の不名誉と屈辱に満足する。アッラーが彼らの心を封じたため、いかなる警告にも動じない。そのため、彼らには利益や危害がどこにあるのかわからず、それを選んだり、避けたりすることができない。
アッラーの道における努力を怠った偽善者たちは、戦いから戻った出征者たちに言い訳をするだろう。アッラーは預言者と信仰者たちに、彼らにこう述べるよう命じた。「虚偽の言い訳をしてはならない。アッラーはあなた方が捏造した言い訳について私たちに知らせており、私たちはあなた方の主張を決して受け入れない。アッラーとその使徒はあなたが悔い改めたかどうか、あるいは偽善に固執するのかどうかをすぐ知るであろう。悔い改めるのであれば、アッラーは受け入れてくださるだろう。その後、あなたはすべてを知り尽くすアッラーの下へと戻され、かれはあなたの行いについてあなたに告げ知らせ、あなたに報いるのである。だから悔い改め、善行に励むのだ。」
信仰者たちよ、あなた方が戻ると、留まっていた者たちは、もっともらしくアッラーに対し偽りの宣誓をして、責任逃れを試みるであろう。それゆえ彼らを放任し、無視しておくのだ。彼らの内面は穢れており、不浄なのである。彼らはその偽善と犯した罪への報いとして、地獄に落ち着くのである。
信仰者たちよ、あなた方が彼らに満足し、彼らの言い逃れを受け入れさせるため、留まった者たちはあなた方に誓うであろう。彼らに満足してはならない。彼らに満足したならば、あなた方は主に反することになる。なぜなら、かれは不信仰と偽善によってかれへの従順を離れた者たちに喜ばれることは決してないからである。だからムスリムたちよ、アッラーが喜ぶことのない者たちに喜ばないよう留意するのだ。
砂漠の民が不信仰または偽善を働く場合、彼らの不信仰や偽善は都市部に住む他者のそれよりも強い。彼らはまた、アッラーがかれの使徒を通して明らかにされた法の義務や推奨事項といった宗教的行為についても無知である場合が多い。これは、彼らが文化的振る舞いの欠如や粗暴さ、そして他者との交流を欠いているためである。アッラーは彼らの状態について知り尽くす。かれからは何も隠されてはいない。かれは賢明であり、諸事を司り、法を定める。
砂漠の偽善者たちの一部は、彼らがアッラーの道において費やす富は喪失され、罰であると見なす。なぜなら施しが報いられることはなく、施さずともアッラーが彼らを罰することはないと考えるからである。アッラーの道で使う富を喪失と罰とみなしている人もいる。だが彼らは時々、不信仰を隠すために費やし、信仰心を他者に誇示する。信仰者たちよ、彼らはあなた方を排除するため、悪がもたらされるのを待つ。アッラーは代わりに、彼らが信仰者たちに望んだ悪と富の喪失を彼ら自身に下した。アッラーは彼らの言葉を聞き、彼らが心に隠蔽するものを知っている。
一方で、砂漠の民の一部には、アッラーと審判の日への信仰があり、アッラーの道に費やす富は、それが何であれ、アッラーとの親密さを増し、使徒が彼らのために祈った赦しを受けるための手段と見なす。間違いなく、アッラーの道における彼らの施しと使徒への祈りは、アッラーと親密になるための手段である。そして彼らはアッラーの赦しを得てかれの憐れみによって楽園に入れられるとき、その報いをアッラーのもとに見出すであろう。アッラーは悔い改める僕に対して寛容であり、情け深い。
信仰者たちにとっての(信仰や言動における)先導者たちとは、アッラーゆえに故郷を棄てて移住した移住者(ムハージルーン)たち、そして彼らと共に預言者を援助した援助者(アンサール)たちである。アッラーは彼らに満足し、彼らの行いを受け入れた。またかれが彼らに与える大きな報奨で彼らもかれに満足する。かれは、川が宮殿の元を永遠に流れる楽園を備え、そこに永遠に住まわせる。その報奨は偉大な成功である。
マディーナ周辺の砂漠に居住する者の中にも、マディーナの民の中にも、偽善者はいる。彼らの偽善は根深い。使徒よ、あなたは彼らを知らないが、アッラーは彼らを知っている。アッラーは現世で彼らの偽善を暴くことによって、そして彼らが墓中で受けることになる懲罰によって、現世と来世の双方で彼らを罰する。それから彼らは審判の日に、地獄の業火の最下層で大きな懲罰を受けるだろう。
マディーナの民の中には、正当な理由なく出征せずに留まった者たちがいる。それから彼らは正当な言い訳がないことを白状し、虚偽の言い訳をしなかった。彼らはアッラーを守り、かれの法を守り、かれの道において努力する一方、そこに悪行を混ぜ合わせた。それでも彼らはアッラーが悔悟を受け入れ、彼らを赦してくれることを願う。アッラーは悔悟する僕たちに対し寛容であり、思いやり深い。
使徒よ、彼らの富からザカート(定めの施し)を受け取るのだ。そうすれば、彼らは罪や悪行の不浄さから浄化され、それによって彼らは善行を増やすことができる。あなたの祈りは彼らにとって慰安と慈悲を得る手段である。 アッラーはあなたの祈りを聞き届け、彼らの行為や意図についても知り尽くす。
アッラーの道における努力をせずに留まったものの、アッラーに対して悔悟した者は、アッラーが僕の悔悟を受け入れることを知るべきである。かれ自身はそれを全く必要とはしないが、かれは施しを受け入れ、そして施す者たちに報いる。アッラーこそは悔悟を受け入れる御方であり、かれに悔悟する僕たちに対し思いやり深いのである。
使徒よ、アッラーの道における努力をせずに留まり、罪から悔悟した者たちに言え。「あなたが留まることによって引き起こされた被害を賠償し、アッラーに対する行為において誠実であれ。アッラーと使徒、そして信仰者たちは間もなくあなたの行為を目にするだろう。それからあなたは審判の日、すべてを知るあなたの主に戻されるだろう。かれはあなたが何を隠し、何を公然にするのかを知っている。そしてかれはあなたの現世での行いについてあなたに告げ知らせ、それに報いるのである。」
タブークの戦いにおいて背後に留まった者たちの中にも、正当な言い訳がなかった者たちがいる。これらの者たちへの判断は、アッラーの命と判断によって延期された。アッラーはお望みのまま、彼らについて判断するだろう。彼らが悔悟しなければ罰するか、もしくは悔悟を受け入れるのである。アッラーは誰がかれの罰に値するのか、そして誰がかれの赦しに値するのかを知っている。アッラーは法の制定と執行において賢明である。
アッラーへの従順ではなく、ムスリムを傷つけるため、そして偽善の民を強化することにより不信仰を支持するため、また信仰者間での不信を起こすため、そしてアッラーと使徒に宣戦布告をする事前の準備のため、マスジドを建設した偽善者たちもいる。これらの偽善者たちは、ムスリムたちのために善を望んでいただけだとあなたに誓う。アッラーこそは彼らの主張が虚偽であると証言する。
預言者よ、不義な目的のために建てられたマスジドで祈るための偽善者たちによる招待を受け入れてはならない。むしろ、アッラーへの畏敬心に基づいて創設されたクバー・マスジドこそが、不義に基づいて創設されたこのマスジドよりも、あなたが祈るべき場所である。クバー・マスジドには、水によって肉体的・精神的な不浄から自らを浄めることを愛し、また悔悟を通し罪からの赦しを求める者たちがいる。アッラーは肉体的・精神的な不浄から、また罪から自らを浄める者たちを愛する。
アッラーへの(命令に指示に従い、禁止事項を避ける)意識と、(善行を通して)アッラーの喜びを願って建築した者は、ムスリムに危害を加え、信仰者間の不和を助長する目的でマスジドを建てた者と同等であろうか。彼らは断じて等しくはない。前者は崩壊することのない、堅固な基礎を有する者だが、後者は脆い穴の端に建物を建て、それもろとも地獄の底まで崩れ落ちる者と似通う。アッラーは不信仰、偽善などの悪行を犯す者たちを導かない。
彼らが害をもたらすために建てたマスジドは、彼らの心が彼らの死によって断片に切り刻まれるまで、あるいは彼らが剣によって殺害されるまで、彼らの心の中で疑いと偽善の源となり続けるだろう。アッラーは僕たちの行いを知り尽くしており、彼らの善または悪の報いの判断において賢明である。
アッラーはその優しさから、信仰者の生命を楽園という高値で買い取った。アッラーの言葉が最上とされるために、彼らは不信仰者と戦い、彼らを殺すかまたは彼らによって殺される。アッラーは律法(ムーサーへの啓典)、福音書(イーサーへの啓典)、そしてクルアーン(ムハンマドへの啓典)の中で、それを真の約束とした。アッラーよりも約束に忠実な者はいない。信仰者たちよ、あなた方がアッラーとの取引で得ることになる大いなる利益に喜ぶのだ。その取引は大いなる成功である。
この大きな報奨を受けるのは、偶像崇拝、偽善、罪から悔悟しアッラーに帰依する者たちである。彼らはアッラーへの崇拝に誠実であり、あらゆる条件において彼らの主を賛美し、アッラーの道において努力し、断食し、祈る。アッラーとその使徒が命じたことを命じ、禁じたことを禁じる。そしてアッラーの命令に従うことによって、アッラーの命令を守り、禁止を忌避する。使徒よ、これらの性質を持つ信仰者たちが喜ぶ、現世と来世での吉報を伝えるのだ。
たとえ親戚であれ、彼らが偶像崇拝者として死んで地獄の民であることが明らかになった後、預言者と信仰者が偶像崇拝者のためにアッラーから赦しを求めることは正しくない。
イブラーヒームが彼の多神教徒の父への赦しを求めたのは、彼が帰依することを望んで交わした約束のためだった。助言が彼の父親にとっては有益ではないこと、また啓示を通して彼が不信仰者として死ぬであろうことが判明し、彼がアッラーの敵であることがイブラーヒームに明らかになったとき、彼は父と縁を切った。彼はアッラーから啓示された法に矛盾することなく、彼自身の推論に基づき赦しを求めたのである。イブラーヒームは頻繁かつ謙虚にアッラーに頼り、不義を働く彼の民を容赦していた。
アッラーは彼らに忌避すべき禁じられた事柄を彼らに明確にするまでは、彼らに導きを与えた後は、彼らが誤り導かれたという判断を下すことは決してないだろう。それが禁じられたと明白にされた後、彼らがアッラーにより禁じられたことをするならば、彼らを誤り導かれた者として判断するだろう。アッラーはすべてを知り尽くす。かれからは何も隠されてはいない。かれはあなた方が知らなかったことを教えたのである。
天地を司るのはアッラーである。かれにはこれに関して何の同位者もおらず、そしてかれからは何も隠されていない。かれは意志の叶う者に誰であれ生命を与え、誰であれ死を与える。人々よ、アッラー以外には、あなた方のことを大切にする友も、あなた方を悪から守り、あなた方の敵から助けてくれる庇護者もないのである。
アッラーはタブークの戦いにおいて、偽善者へ背後に留まる許可を与えた預言者ムハンマドを赦した。また、背後に留まることのなかった移住者たちと援助者たちも同様に赦した。彼らは激しい熱気のなか、資材の欠如や敵の強力さにも関わらず、タブークの戦いに従軍した。これは、彼らが多大なる困難に直面し、彼らの中の一団が遠征を放棄しよう試み、真理と正しい導きの道から逸脱しかけた後のことだった。それからアッラーは彼らに忍耐強さを与え、戦いへと出征することができた。アッラーは彼らに対して親切で慈悲深く、彼らを赦したのである。彼らを悔悟させ、彼らの悔悟を受け入れたのも、かれの慈悲である。
アッラーは、使徒と共にタブークへ出征せず、背後に留まった3人(カアブ・ブン・マーリク、ムラーラ・ブン・アル=ラビーウ、ヒラール・ブン・ウマイヤ)を赦した。預言者は人々に彼らを遠ざけるように指示したが、それは彼らに悲しみと嘆きを与えた。地上は広大であるにも関わらず、彼らにとっては狭く見え、彼らの心は孤独のために締め付けられていた。そして彼らはアッラーを除き彼らが行くことができる避難所や援助がないことを確信した。アッラーは彼らに対して慈悲深く、彼らがかれに縋り、赦しを求めさせるようにし、それから彼らの悔悟を受け入れた。アッラーは僕の悔悟を受け入れ、彼らへの憐れみと思いやりに満ちている。
使徒を信じて従い、アッラーの法に従って行動し、かれを意識する者よ。かれの命令に従い、かれの禁止を忌避せよ。真理以外には救いはないため、信仰と言動に誠実である者たちと共にいるのだ。
マディーナの民、あるいは周辺の砂漠の民が、アッラーの使徒自ら出征しながらも、彼の背後に留まり、彼の安全よりも自らの安全を優先するのは間違いである。むしろ、彼らは自らを犠牲にすべきである。アッラーゆえに喉の渇きや疲弊、飢餓に苦しむ度に、そして自らの足、もしくは馬やラクダの蹄で真理を否定する者たちの地に踏み込み、何らかの打撃を与える度に、アッラーは彼らのために善行の報酬を記録されるのである。アッラーは善行をなす者の報奨が失われるのを許さない。むしろ、かれはそれを完全に与えるだけでなく、増やすのである。
これらの成功者たちは、アッラーにより記録され来世で最善の報奨を受けるため、いかなる額の富や、旅の行程をも無駄にすることはない。
信仰者たちは一度に総力戦を仕掛けるべきではない。それにより、敵から一掃されて全滅しないためであるが、他方全員が背後に留まるべきでもない。ある一団がアッラーのために努力し、別の一団はアッラーの使徒に付随し、彼から聞くクルアーンとイスラーム法の説明を通して宗教的理解を深め、出征者たちが帰ってきたら彼らに学んだことを助言するために背後に留まるべきである。それにより彼らはアッラーの懲罰について警告し、かれの命令に従い禁止を忌避するのである。これはアッラーの使徒が、教友の中から一団を選び、異なる地域へ派遣したことに関するものである。
信仰者よ、あなた方の近くにいる真理に反する者と戦え。そして彼らに恐れを与え、彼らの悪を追い払うために力を見せよ。アッラーは、アッラーを意識する信仰者を援助し、支える。
アッラーが使徒に章句を啓示したとき、偽善者は嘲笑しながら尋ねるだろう。「あなた方はこれで信仰心を高められたのか?」アッラーを信仰し、その使徒に従う者たちは、その章句の啓示は実際に彼らの信仰心を高めた。そこには、現世と来世における利益が含まれているため、彼らは喜んだのである。
一方、偽善者に関しては、クルアーンにおける法と逸話の啓示を拒否したことから、病と邪悪さを増加させた結果、これらの哀れな性格が固定される。何かが啓示される度、彼らはそれに懐疑心を抱くため、彼らの心の病はクルアーンの啓示とともに増幅する。
偽善者たちは、アッラーによって試みられ、年に一度か二度、その偽善が暴露されても何ら教訓を得ないのか。それがアッラーによるものだと知っているにも関わらず、彼らはその不信仰から赦しを求めたり、偽善を止めたり、省みたりすることはない。
アッラーが偽善者たちの状況について述べる章句を使徒に啓示する度、偽善者たちはお互いを見やり、「誰かに見られているのか?」と問う。誰にも見られていなければ、彼らは集まりを解散する。アッラーは彼らの心を導きと善から遠ざけ、見放した。彼らは理解しない者たちだからである。
アラブたちよ、あなた方の中の血筋から、あなた方のようなアラブの使徒が、あなた方にやって来た。あなた方にとっての困難は、彼にとっての困難でもある。彼はあなた方を心配し、あなた方が主を信じるように呼びかける。そして彼は信仰者たちに親切であり、思いやり深い。
使徒よ、あなたと共にもたらされたものを彼らが拒むのであれば、こう言うのだ。「私にはアッラーだけで十分である。かれ以外に崇拝すべき者はない。私はかれにのみ縋るのである。そしてかれこそは至高なる玉座の主なのである。」
سورة التوبة
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التفسيرات

سورةُ (التَّوْبةِ) ارتبَطتِ ارتباطًا وثيقًا بسورة (الأنفال)، حتى ظنَّ بعضُ الصَّحابة أنهما سورةٌ واحدة؛ فقد أكمَلتِ الحديثَ عن أحكام الحرب والأَسْرى. وسُمِّيتْ بـ (الفاضحةِ)؛ لأنها فضَحتْ سرائرَ المنافقين، وأحوالَهم، وصفاتِهم. وقد نزَلتْ سورة (التَّوْبةِ) في غزوتَيْ (حُنَينٍ)، و(تَبُوكَ). وأعلَنتْ هذه السورةُ البراءةَ من الشركِ والمشركين وأفعالهم، وبيَّنتْ أحكامَ المواثيق والعهود مع المشركين، معلِنةً في خاتمتها التوبةَ على مَن تاب وتخلَّف من الصحابة - رضي الله عنهم - عن الغزوِ: {ثُمَّ تَابَ عَلَيْهِمْ لِيَتُوبُوٓاْۚ} [التوبة: 118].

ترتيبها المصحفي
9
نوعها
مدنية
ألفاظها
2505
ترتيب نزولها
113
العد المدني الأول
130
العد المدني الأخير
130
العد البصري
130
العد الكوفي
129
العد الشامي
130

تعلَّقتْ سورةُ (التوبة) بأحداثٍ كثيرة، وهي (الفاضحةُ)؛ لذا صحَّ في أسبابِ نزولها الكثيرُ؛ من ذلك:

* قوله تعالى: {أَجَعَلْتُمْ سِقَايَةَ اْلْحَآجِّ وَعِمَارَةَ اْلْمَسْجِدِ اْلْحَرَامِ كَمَنْ ءَامَنَ بِاْللَّهِ وَاْلْيَوْمِ اْلْأٓخِرِ وَجَٰهَدَ فِي سَبِيلِ اْللَّهِۚ لَا يَسْتَوُۥنَ عِندَ اْللَّهِۗ وَاْللَّهُ لَا يَهْدِي اْلْقَوْمَ اْلظَّٰلِمِينَ} [التوبة: 19]:

عن النُّعمانِ بن بشيرٍ رضي الله عنهما، قال: «كنتُ عند مِنبَرِ رسولِ اللهِ صلى الله عليه وسلم، فقال رجُلٌ: ما أُبالي ألَّا أعمَلَ عمَلًا بعد الإسلامِ إلا أن أَسقِيَ الحاجَّ، وقال آخَرُ: ما أُبالي ألَّا أعمَلَ عمَلًا بعد الإسلامِ إلا أن أعمُرَ المسجدَ الحرامَ، وقال آخَرُ: الجهادُ في سبيلِ اللهِ أفضَلُ ممَّا قُلْتم، فزجَرَهم عُمَرُ، وقال: لا تَرفَعوا أصواتَكم عند مِنبَرِ رسولِ اللهِ صلى الله عليه وسلم، وهو يومُ الجمعةِ، ولكن إذا صلَّيْتُ الجمعةَ دخَلْتُ فاستفتَيْتُه فيما اختلَفْتم فيه؛ فأنزَلَ اللهُ عز وجل: {أَجَعَلْتُمْ سِقَايَةَ اْلْحَآجِّ} [التوبة: 19] الآيةَ إلى آخِرِها». أخرجه مسلم (١٨٧٩).

* قوله تعالى: {اْلَّذِينَ يَلْمِزُونَ اْلْمُطَّوِّعِينَ مِنَ اْلْمُؤْمِنِينَ فِي اْلصَّدَقَٰتِ وَاْلَّذِينَ لَا يَجِدُونَ إِلَّا جُهْدَهُمْ} [التوبة: 79]:

عن أبي مسعودٍ عُقْبةَ بن عمرٍو رضي الله عنه، قال: «لمَّا نزَلتْ آيةُ الصَّدقةِ كنَّا نُحامِلُ، فجاءَ رجُلٌ فتصدَّقَ بشيءٍ كثيرٍ، فقالوا: مُرائي، وجاءَ رجُلٌ فتصدَّقَ بصاعٍ، فقالوا: إنَّ اللهَ لَغنيٌّ عن صاعِ هذا؛ فنزَلتِ: {اْلَّذِينَ يَلْمِزُونَ اْلْمُطَّوِّعِينَ مِنَ اْلْمُؤْمِنِينَ فِي اْلصَّدَقَٰتِ وَاْلَّذِينَ لَا يَجِدُونَ إِلَّا جُهْدَهُمْ} [التوبة: 79] الآية». أخرجه البخاري (١٤١٥).

* قوله تعالى: {وَلَا تُصَلِّ عَلَىٰٓ أَحَدٖ مِّنْهُم مَّاتَ أَبَدٗا وَلَا تَقُمْ عَلَىٰ قَبْرِهِۦٓۖ} [التوبة: 84]:

عن عبدِ اللهِ بنِ عُمَرَ رضي الله عنهما: «أنَّ عبدَ اللهِ بنَ أُبَيٍّ لمَّا تُوُفِّيَ جاءَ ابنُه إلى النبيِّ ﷺ، فقال: يا رسولَ اللهِ، أعطِني قميصَك أُكفِّنْهُ فيه، وصَلِّ عليه، واستغفِرْ له، فأعطاه النبيُّ ﷺ قميصَه، فقال: آذِنِّي أُصلِّي عليه، فآذَنَه، فلمَّا أراد أن يُصلِّيَ عليه جذَبَه عُمَرُ رضي الله عنه، فقال: أليس اللهُ نهاك أن تُصلِّيَ على المنافِقين؟ فقال: أنا بين خِيرَتَينِ، قال: {اْسْتَغْفِرْ لَهُمْ أَوْ لَا تَسْتَغْفِرْ لَهُمْ إِن تَسْتَغْفِرْ لَهُمْ سَبْعِينَ مَرَّةٗ فَلَن يَغْفِرَ اْللَّهُ لَهُمْۚ} [التوبة: 80]، فصلَّى عليه؛ فنزَلتْ: {وَلَا تُصَلِّ عَلَىٰٓ أَحَدٖ مِّنْهُم مَّاتَ أَبَدٗا وَلَا تَقُمْ عَلَىٰ قَبْرِهِۦٓۖ} [التوبة: 84]». أخرجه البخاري (١٢٦٩).

* قوله تعالى: {مَا كَانَ لِلنَّبِيِّ وَاْلَّذِينَ ءَامَنُوٓاْ أَن يَسْتَغْفِرُواْ لِلْمُشْرِكِينَ وَلَوْ كَانُوٓاْ أُوْلِي قُرْبَىٰ مِنۢ بَعْدِ مَا تَبَيَّنَ لَهُمْ أَنَّهُمْ أَصْحَٰبُ اْلْجَحِيمِ} [التوبة: 113]:

عن المسيَّبِ بن حَزْنٍ رضي الله عنه، قال: «لمَّا حضَرتْ أبا طالبٍ الوفاةُ جاءَه رسولُ اللهِ ﷺ، فوجَدَ عنده أبا جهلٍ، وعبدَ اللهِ بنَ أبي أُمَيَّةَ بنِ المُغيرةِ، فقال رسولُ اللهِ ﷺ: «يا عَمِّ، قُلْ: لا إلهَ إلا اللهُ، كلمةً أشهَدُ لك بها عند اللهِ»، فقال أبو جهلٍ وعبدُ اللهِ بنُ أبي أُمَيَّةَ: يا أبا طالبٍ، أتَرغَبُ عن مِلَّةِ عبدِ المطَّلِبِ؟ فلَمْ يَزَلْ رسولُ اللهِ ﷺ يَعرِضُها عليه، ويُعِيدُ له تلك المقالةَ، حتى قال أبو طالبٍ آخِرَ ما كلَّمهم: هو على مِلَّةِ عبدِ المطَّلِبِ، وأبى أن يقولَ: لا إلهَ إلا اللهُ، فقال رسولُ اللهِ ﷺ: «أمَا واللهِ لَأستغفِرَنَّ لك ما لم أُنْهَ عنك»؛ فأنزَلَ اللهُ عز وجل: {مَا كَانَ لِلنَّبِيِّ وَاْلَّذِينَ ءَامَنُوٓاْ أَن يَسْتَغْفِرُواْ لِلْمُشْرِكِينَ وَلَوْ كَانُوٓاْ أُوْلِي قُرْبَىٰ مِنۢ بَعْدِ مَا تَبَيَّنَ لَهُمْ أَنَّهُمْ أَصْحَٰبُ اْلْجَحِيمِ} [التوبة: 113]». أخرجه مسلم (٢٤).

* قوله تعالى: {وَعَلَى اْلثَّلَٰثَةِ اْلَّذِينَ خُلِّفُواْ حَتَّىٰٓ إِذَا ضَاقَتْ عَلَيْهِمُ اْلْأَرْضُ بِمَا رَحُبَتْ وَضَاقَتْ عَلَيْهِمْ أَنفُسُهُمْ وَظَنُّوٓاْ أَن لَّا مَلْجَأَ مِنَ اْللَّهِ إِلَّآ إِلَيْهِ ثُمَّ تَابَ عَلَيْهِمْ لِيَتُوبُوٓاْۚ إِنَّ اْللَّهَ هُوَ اْلتَّوَّابُ اْلرَّحِيمُ} [التوبة: 118]:

نزَلتْ في (كعبِ بن مالكٍ)، و(مُرَارةَ بنِ الرَّبيعِ)، و(هلالِ بنِ أُمَيَّةَ).

والحديثُ يَروِيه عبدُ اللهِ بن كعبٍ، عن أبيه كعبِ بن مالكٍ رضي الله عنه، قال: «لم أتخلَّفْ عن رسولِ اللهِ صلى الله عليه وسلم في غزوةٍ غزاها قطُّ، إلا في غزوةِ تَبُوكَ، غيرَ أنِّي قد تخلَّفْتُ في غزوةِ بَدْرٍ، ولم يُعاتِبْ أحدًا تخلَّفَ عنه، إنَّما خرَجَ رسولُ اللهِ صلى الله عليه وسلم والمسلمون يُريدون عِيرَ قُرَيشٍ، حتى جمَعَ اللهُ بَيْنهم وبين عدوِّهم على غيرِ ميعادٍ، ولقد شَهِدتُّ مع رسولِ اللهِ صلى الله عليه وسلم ليلةَ العَقَبةِ، حِينَ تواثَقْنا على الإسلامِ، وما أُحِبُّ أنَّ لي بها مَشهَدَ بَدْرٍ، وإن كانت بَدْرٌ أذكَرَ في الناسِ منها، وكان مِن خَبَري حِينَ تخلَّفْتُ عن رسولِ اللهِ صلى الله عليه وسلم في غزوةِ تَبُوكَ: أنِّي لم أكُنْ قطُّ أقوى ولا أيسَرَ منِّي حِينَ تخلَّفْتُ عنه في تلك الغزوةِ، واللهِ ما جمَعْتُ قَبْلها راحلتَينِ قطُّ، حتى جمَعْتُهما في تلك الغزوةِ، فغزَاها رسولُ اللهِ صلى الله عليه وسلم في حَرٍّ شديدٍ، واستقبَلَ سفَرًا بعيدًا ومَفازًا، واستقبَلَ عدوًّا كثيرًا، فجَلَا للمسلمين أمْرَهم لِيتأهَّبوا أُهْبةَ غَزْوِهم، فأخبَرَهم بوجهِهم الذي يريدُ، والمسلمون مع رسولِ اللهِ صلى الله عليه وسلم كثيرٌ، ولا يَجمَعُهم كتابٌ حافظٌ، يريدُ بذلك الدِّيوانَ، قال كعبٌ: فقَلَّ رجُلٌ يريدُ أن يَتغيَّبَ، يظُنُّ أنَّ ذلك سيَخفَى له، ما لم يَنزِلْ فيه وَحْيٌ مِن اللهِ عز وجل، وغزَا رسولُ اللهِ صلى الله عليه وسلم تلك الغزوةَ حِينَ طابتِ الثِّمارُ والظِّلالُ، فأنا إليها أصعَرُ، فتجهَّزَ رسولُ اللهِ صلى الله عليه وسلم والمسلمون معه، وطَفِقْتُ أغدو لكي أتجهَّزَ معهم، فأرجِعُ ولم أقضِ شيئًا، وأقولُ في نفسي: أنا قادرٌ على ذلك إذا أرَدتُّ، فلم يَزَلْ ذلك يَتمادى بي حتى استمَرَّ بالناسِ الجِدُّ، فأصبَحَ رسولُ اللهِ صلى الله عليه وسلم غاديًا والمسلمون معه، ولم أقضِ مِن جَهازي شيئًا، ثم غدَوْتُ فرجَعْتُ ولم أقضِ شيئًا، فلم يَزَلْ ذلك يَتمادى بي حتى أسرَعوا، وتفارَطَ الغَزْوُ، فهمَمْتُ أن أرتحِلَ فأُدرِكَهم، فيا لَيْتني فعَلْتُ، ثم لم يُقدَّرْ ذلك لي، فطَفِقْتُ إذا خرَجْتُ في الناسِ بعد خروجِ رسولِ اللهِ صلى الله عليه وسلم يحزُنُني أنِّي لا أرى لي أُسْوةً إلا رجُلًا مغموصًا عليه في النِّفاقِ، أو رجُلًا ممَّن عذَرَ اللهُ مِن الضُّعفاءِ، ولم يذكُرْني رسولُ اللهِ صلى الله عليه وسلم حتى بلَغَ تَبُوكَ، فقال وهو جالسٌ في القومِ بتَبُوكَ: «ما فعَلَ كعبُ بنُ مالكٍ؟»، قال رجُلٌ مِن بَني سَلِمةَ: يا رسولَ اللهِ، حبَسَه بُرْداه والنَّظرُ في عِطْفَيهِ، فقال له مُعاذُ بنُ جبلٍ: بئسَ ما قلتَ، واللهِ يا رسولَ اللهِ، ما عَلِمْنا عليه إلا خيرًا، فسكَتَ رسولُ اللهِ صلى الله عليه وسلم، فبينما هو على ذلك، رأى رجُلًا مُبيِّضًا، يزُولُ به السَّرابُ، فقال رسولُ اللهِ صلى الله عليه وسلم: «كُنْ أبا خَيْثمةَ»، فإذا هو أبو خَيْثمةَ الأنصاريُّ، وهو الذي تصدَّقَ بصاعِ التَّمْرِ حِينَ لمَزَه المنافِقون».

فقال كعبُ بن مالكٍ: فلمَّا بلَغَني أنَّ رسولَ اللهِ صلى الله عليه وسلم قد توجَّهَ قافلًا مِن تَبُوكَ، حضَرَني بَثِّي، فطَفِقْتُ أتذكَّرُ الكَذِبَ وأقولُ: بِمَ أخرُجُ مِن سَخَطِه غدًا؟ وأستعينُ على ذلك كلَّ ذي رأيٍ مِن أهلي، فلمَّا قيل لي: إنَّ رسولَ اللهِ صلى الله عليه وسلم قد أظَلَّ قادمًا، زاحَ عنِّي الباطلُ، حتى عرَفْتُ أنِّي لن أنجوَ منه بشيءٍ أبدًا، فأجمَعْتُ صِدْقَه، وصبَّحَ رسولُ اللهِ صلى الله عليه وسلم قادمًا، وكان إذا قَدِمَ مِن سَفَرٍ، بدَأَ بالمسجدِ فركَعَ فيه ركعتَينِ، ثم جلَسَ للناسِ، فلمَّا فعَلَ ذلك جاءه المخلَّفون، فطَفِقوا يَعتذِرون إليه، ويَحلِفون له، وكانوا بِضْعةً وثمانين رجُلًا، فقَبِلَ منهم رسولُ اللهِ صلى الله عليه وسلم علانيتَهم، وبايَعَهم، واستغفَرَ لهم، ووكَلَ سرائرَهم إلى اللهِ، حتى جئتُ، فلمَّا سلَّمْتُ تبسَّمَ تبسُّمَ المُغضَبِ، ثم قال: «تعالَ»، فجئتُ أمشي حتى جلَسْتُ بين يدَيهِ، فقال لي: «ما خلَّفَك؟ ألم تكُنْ قد ابتَعْتَ ظَهْرَك؟»، قال: قلتُ: يا رسولَ اللهِ، إنِّي واللهِ لو جلَسْتُ عند غيرِك مِن أهلِ الدُّنيا، لَرأَيْتُ أنِّي سأخرُجُ مِن سَخَطِه بعُذْرٍ، ولقد أُعطِيتُ جدَلًا، ولكنِّي واللهِ لقد عَلِمْتُ، لَئِنْ حدَّثْتُك اليومَ حديثَ كَذِبٍ تَرضَى به عنِّي، لَيُوشِكَنَّ اللهُ أن يُسخِطَك عليَّ، ولَئِنْ حدَّثْتُك حديثَ صِدْقٍ تجدُ عليَّ فيه، إنِّي لَأرجو فيه عُقْبى اللهِ، واللهِ ما كان لي عُذْرٌ، واللهِ ما كنتُ قطُّ أقوى ولا أيسَرَ منِّي حين تخلَّفْتُ عنك، قال رسولُ اللهِ صلى الله عليه وسلم: «أمَّا هذا فقد صدَقَ؛ فقُمْ حتى يَقضِيَ اللهُ فيك»، فقُمْتُ، وثارَ رجالٌ مِن بَني سَلِمةَ فاتَّبَعوني، فقالوا لي: واللهِ ما عَلِمْناك أذنَبْتَ ذَنْبًا قبل هذا، لقد عجَزْتَ في ألَّا تكونَ اعتذَرْتَ إلى رسولِ اللهِ صلى الله عليه وسلم بما اعتذَرَ به إليه المخلَّفون، فقد كان كافيَك ذَنْبَك استغفارُ رسولِ اللهِ صلى الله عليه وسلم لك، قال: فواللهِ ما زالوا يُؤنِّبوني حتى أرَدتُّ أن أرجِعَ إلى رسولِ اللهِ صلى الله عليه وسلم فأُكذِّبَ نفسي، قال: ثم قلتُ لهم: هل لَقِيَ هذا معي مِن أحدٍ؟ قالوا: نَعم، لَقِيَه معك رجُلانِ، قالا مِثْلَ ما قلتَ، فقيل لهما مثلُ ما قيل لك، قال: قلتُ: مَن هما؟ قالوا: مُرَارةُ بنُ الرَّبيعِ العامريُّ، وهِلالُ بنُ أُمَيَّةَ الواقِفيُّ، قال: فذكَروا لي رجُلَينِ صالحَينِ قد شَهِدا بَدْرًا، فيهما أُسْوةٌ، قال: فمضَيْتُ حين ذكَروهما لي.

قال: ونهَى رسولُ اللهِ صلى الله عليه وسلم المسلمين عن كلامِنا - أيُّها الثلاثةُ - مِن بَيْنِ مَن تخلَّفَ عنه.

قال: فاجتنَبَنا الناسُ، وقال: تغيَّروا لنا، حتى تنكَّرتْ لي في نفسي الأرضُ، فما هي بالأرضِ التي أعرِفُ، فلَبِثْنا على ذلك خَمْسين ليلةً، فأمَّا صاحبايَ فاستكانا وقعَدا في بيوتِهما يَبكيانِ، وأمَّا أنا فكنتُ أشَبَّ القومِ وأجلَدَهم، فكنتُ أخرُجُ فأشهَدُ الصَّلاةَ، وأطُوفُ في الأسواقِ، ولا يُكلِّمُني أحدٌ، وآتي رسولَ اللهِ صلى الله عليه وسلم فأُسلِّمُ عليه وهو في مَجلِسِه بعد الصَّلاةِ، فأقولُ في نفسي: هل حرَّكَ شَفَتَيهِ برَدِّ السلامِ أم لا؟ ثم أُصلِّي قريبًا منه، وأُسارِقُه النَّظرَ، فإذا أقبَلْتُ على صلاتي نظَرَ إليَّ، وإذا التفَتُّ نحوَه أعرَضَ عنِّي، حتى إذا طالَ ذلك عليَّ مِن جَفْوةِ المسلمين، مشَيْتُ حتى تسوَّرْتُ جدارَ حائطِ أبي قَتادةَ، وهو ابنُ عَمِّي، وأحَبُّ الناسِ إليَّ، فسلَّمْتُ عليه، فواللهِ ما رَدَّ عليَّ السلامَ، فقلتُ له: يا أبا قَتادةَ، أنشُدُك باللهِ هل تَعلَمَنَّ أنِّي أُحِبُّ اللهَ ورسولَه؟ قال: فسكَتَ، فعُدتُّ فناشَدتُّه، فسكَتَ، فعُدتُّ فناشَدتُّه، فقال: اللهُ ورسولُهُ أعلَمُ، ففاضت عينايَ، وتولَّيْتُ حتى تسوَّرْتُ الجدارَ.

فبَيْنا أنا أمشي في سوقِ المدينةِ، إذا نَبَطيٌّ مِن نََبَطِ أهلِ الشامِ، ممَّن قَدِمَ بالطعامِ يَبِيعُه بالمدينةِ، يقولُ: مَن يدُلُّ على كعبِ بن مالكٍ؟ قال: فطَفِقَ الناسُ يُشيرون له إليَّ، حتى جاءَني، فدفَعَ إليَّ كتابًا مِن مَلِكِ غسَّانَ، وكنتُ كاتبًا، فقرَأْتُه، فإذا فيه: أمَّا بعدُ، فإنَّه قد بلَغَنا أنَّ صاحِبَك قد جفَاك، ولم يَجعَلْك اللهُ بدارِ هوانٍ ولا مَضِيعةٍ، فالحَقْ بنا نُواسِك، قال: فقلتُ حين قرَأْتُها: وهذه أيضًا مِن البلاءِ، فتيامَمْتُ بها التَّنُّورَ، فسجَرْتُها بها.

حتى إذا مضَتْ أربعون مِن الخَمْسين، واستلبَثَ الوَحْيُ؛ إذا رسولُ رسولِ اللهِ صلى الله عليه وسلم يأتيني، فقال: إنَّ رسولَ اللهِ صلى الله عليه وسلم يأمُرُك أن تعتزِلَ امرأتَك، قال: فقلتُ: أُطلِّقُها أم ماذا أفعَلُ؟ قال: لا، بل اعتزِلْها، فلا تَقرَبَنَّها، قال: فأرسَلَ إلى صاحِبَيَّ بمِثْلِ ذلك، قال: فقلتُ لامرأتي: الحَقِي بأهلِكِ فكُوني عندهم حتى يَقضِيَ اللهُ في هذا الأمرِ، قال: فجاءت امرأةُ هلالِ بنِ أُمَيَّةَ رسولَ اللهِ صلى الله عليه وسلم، فقالت له: يا رسولَ اللهِ، إنَّ هلالَ بنَ أُمَيَّةَ شيخٌ ضائعٌ ليس له خادمٌ، فهل تَكرَهُ أن أخدُمَه؟ قال: لا، ولكن لا يَقرَبَنَّكِ، فقالت: إنَّه واللهِ ما به حركةٌ إلى شيءٍ، وواللهِ ما زالَ يَبكي منذ كان مِن أمرِه ما كان إلى يومِه هذا، قال: فقال لي بعضُ أهلي: لو استأذَنْتَ رسولَ اللهِ صلى الله عليه وسلم في امرأتِك؟ فقد أَذِنَ لامرأةِ هلالِ بنِ أُمَيَّةَ أن تخدُمَه، قال: فقلتُ: لا أستأذِنُ فيها رسولَ اللهِ صلى الله عليه وسلم، وما يُدرِيني ماذا يقولُ رسولُ اللهِ صلى الله عليه وسلم إذا استأذَنْتُه فيها، وأنا رجُلٌ شابٌّ، قال: فلَبِثْتُ بذلك عَشْرَ ليالٍ، فكمَلَ لنا خمسون ليلةً مِن حِينَ نُهِيَ عن كلامِنا، قال: ثم صلَّيْتُ صلاةَ الفجرِ صباحَ خَمْسين ليلةً على ظَهْرِ بيتٍ مِن بيوتِنا، فبَيْنا أنا جالسٌ على الحالِ التي ذكَرَ اللهُ عز وجل منَّا، قد ضاقَتْ عليَّ نفسي، وضاقَتْ عليَّ الأرضُ بما رحُبَتْ؛ سَمِعْتُ صوتَ صارخٍ أوفَى على سَلْعٍ، يقولُ بأعلى صوتِه: يا كعبُ بنَ مالكٍ، أبشِرْ، قال: فخرَرْتُ ساجدًا، وعرَفْتُ أنْ قد جاء فَرَجٌ.

قال: فآذَنَ رسولُ اللهِ صلى الله عليه وسلم الناسَ بتوبةِ اللهِ علينا حِينَ صلَّى صلاةَ الفجرِ، فذهَبَ الناسُ يُبشِّروننا، فذهَبَ قِبَلَ صاحَبَيَّ مبشِّرون، وركَضَ رجُلٌ إليَّ فرَسًا، وسعى ساعٍ مِن أسلَمَ قِبَلي، وأوفى الجبلَ، فكان الصوتُ أسرَعَ مِن الفرَسِ، فلمَّا جاءني الذي سَمِعْتُ صوتَه يُبشِّرُني، فنزَعْتُ له ثَوْبَيَّ، فكسَوْتُهما إيَّاه ببِشارتِه، واللهِ ما أملِكُ غيرَهما يومَئذٍ، واستعَرْتُ ثَوْبَيْنِ فلَبِسْتُهما، فانطلَقْتُ أتأمَّمُ رسولَ اللهِ صلى الله عليه وسلم، يَتلقَّاني الناسُ فوجًا فوجًا، يُهنِّئوني بالتوبةِ، ويقولون: لِتَهْنِئْكُ توبةُ اللهِ عليك، حتى دخَلْتُ المسجدَ، فإذا رسولُ اللهِ صلى الله عليه وسلم جالسٌ في المسجدِ، وحَوْله الناسُ، فقام طَلْحةُ بنُ عُبَيدِ اللهِ يُهَروِلُ حتى صافَحَني وهنَّأني، واللهِ ما قامَ رجُلٌ مِن المهاجِرين غيرُه.

قال: فكان كعبٌ لا يَنساها لطَلْحةَ.

قال كعبٌ: فلمَّا سلَّمْتُ على رسولِ اللهِ صلى الله عليه وسلم، قال وهو يبرُقُ وجهُه مِن السُّرورِ، ويقولُ: «أبشِرْ بخيرِ يومٍ مَرَّ عليك منذُ ولَدَتْك أمُّك»، قال: فقلتُ: أمِنْ عندِك يا رسولَ اللهِ، أم مِن عندِ اللهِ؟ فقال: «لا، بل مِن عندِ اللهِ»، وكان رسولُ اللهِ صلى الله عليه وسلم إذا سُرَّ استنارَ وجهُه، كأنَّ وَجْهَه قطعةُ قمَرٍ، قال: وكنَّا نَعرِفُ ذلك.

قال: فلمَّا جلَسْتُ بين يدَيهِ، قلتُ: يا رسولَ اللهِ، إنَّ مِن تَوْبتي أن أنخلِعَ مِن مالي صدقةً إلى اللهِ، وإلى رسولِه صلى الله عليه وسلم، فقال رسولُ اللهِ صلى الله عليه وسلم: «أمسِكْ بعضَ مالِك؛ فهو خيرٌ لك»، قال: فقلتُ: فإنِّي أُمسِكُ سَهْمي الذي بخَيْبرَ.

قال: وقلتُ: يا رسولَ اللهِ، إنَّ اللهَ إنَّما أنجاني بالصِّدْقِ، وإنَّ مِن تَوْبتي ألَّا أُحدِّثَ إلا صِدْقًا ما بَقِيتُ.

قال: فواللهِ ما عَلِمْتُ أنَّ أحدًا مِن المسلمين أبلاه اللهُ في صِدْقِ الحديثِ، منذُ ذكَرْتُ ذلك لرسولِ اللهِ صلى الله عليه وسلم إلى يومي هذا، أحسَنَ ممَّا أبلاني اللهُ به، واللهِ ما تعمَّدتُّ كَذْبةً منذُ قلتُ ذلك لرسولِ اللهِ صلى الله عليه وسلم إلى يومي هذا، وإنِّي لأرجو أن يَحفَظَني اللهُ فيما بَقِيَ.

قال: فأنزَلَ اللهُ عز وجل: {لَّقَد تَّابَ اْللَّهُ عَلَى اْلنَّبِيِّ وَاْلْمُهَٰجِرِينَ وَاْلْأَنصَارِ اْلَّذِينَ اْتَّبَعُوهُ فِي سَاعَةِ اْلْعُسْرَةِ مِنۢ بَعْدِ مَا كَادَ يَزِيغُ قُلُوبُ فَرِيقٖ مِّنْهُمْ ثُمَّ تَابَ عَلَيْهِمْۚ إِنَّهُۥ بِهِمْ رَءُوفٞ رَّحِيمٞ ١١٧ وَعَلَى اْلثَّلَٰثَةِ اْلَّذِينَ خُلِّفُواْ حَتَّىٰٓ إِذَا ضَاقَتْ عَلَيْهِمُ اْلْأَرْضُ بِمَا رَحُبَتْ وَضَاقَتْ عَلَيْهِمْ أَنفُسُهُمْ} [التوبة: 117-118] حتى بلَغَ: {يَٰٓأَيُّهَا اْلَّذِينَ ءَامَنُواْ اْتَّقُواْ اْللَّهَ وَكُونُواْ مَعَ اْلصَّٰدِقِينَ} [التوبة: 119].

قال كعبٌ: واللهِ ما أنعَمَ اللهُ عليَّ مِن نعمةٍ قطُّ، بعد إذ هداني اللهُ للإسلامِ، أعظَمَ في نفسي مِن صِدْقي رسولَ اللهِ صلى الله عليه وسلم، ألَّا أكونَ كذَبْتُه فأهلِكَ كما هلَكَ الذين كذَبوا؛ إنَّ اللهَ قال لِلَّذين كذَبُوا حِينَ أنزَلَ الوَحْيَ شرَّ ما قال لأحدٍ، وقال اللهُ: {سَيَحْلِفُونَ ‌بِاْللَّهِ ‌لَكُمْ إِذَا اْنقَلَبْتُمْ إِلَيْهِمْ لِتُعْرِضُواْ عَنْهُمْۖ فَأَعْرِضُواْ عَنْهُمْۖ إِنَّهُمْ رِجْسٞۖ وَمَأْوَىٰهُمْ جَهَنَّمُ جَزَآءَۢ بِمَا كَانُواْ يَكْسِبُونَ ٩٥ يَحْلِفُونَ لَكُمْ لِتَرْضَوْاْ عَنْهُمْۖ فَإِن تَرْضَوْاْ عَنْهُمْ فَإِنَّ اْللَّهَ لَا يَرْضَىٰ عَنِ اْلْقَوْمِ اْلْفَٰسِقِينَ} [التوبة: 95-96].

قال كعبٌ: كنَّا خُلِّفْنا - أيُّها الثلاثةُ - عن أمرِ أولئك الذين قَبِلَ منهم رسولُ اللهِ صلى الله عليه وسلم حِينَ حلَفوا له، فبايَعَهم، واستغفَرَ لهم، وأرجأَ رسولُ اللهِ صلى الله عليه وسلم أمْرَنا حتى قضى اللهُ فيه، فبذلك قال اللهُ عز وجل: {وَعَلَى ‌اْلثَّلَٰثَةِ ‌اْلَّذِينَ ‌خُلِّفُواْ} [التوبة: 118]، وليس الذي ذكَرَ اللهُ ممَّا خُلِّفْنا تخلُّفَنا عن الغَزْوِ، وإنَّما هو تخليفُه إيَّانا، وإرجاؤُه أمْرَنا عمَّن حلَفَ له واعتذَرَ إليه فقَبِلَ منه». أخرجه مسلم (٢٧٦٩).

* سورةُ (التوبة):

سُمِّيتْ بذلك لكثرةِ ذِكْرِ التوبة وتَكْرارها فيها، وذِكْرِ توبة الله على الثلاثة الذين تخلَّفوا يومَ غزوة (تَبُوكَ)، ولها عِدَّةُ أسماءٍ؛ من ذلك:

* سورةُ (براءةَ):

وقد اشتهَر هذا الاسمُ بين الصحابة؛ فعن البَراء رضي الله عنه، قال: «آخِرُ سورةٍ نزَلتْ كاملةً براءةُ». أخرجه البخاري (٤٣٦٤).

* (الفاضحةُ):

فعن سعيدِ بن جُبَيرٍ رحمه الله، قال: «قلتُ لابنِ عباسٍ: سورةُ التَّوبةِ، قال: آلتَّوبةُ؟ قال: بل هي الفاضحةُ؛ ما زالت تَنزِلُ: {وَمِنْهُمْ} {وَمِنْهُمْ} حتى ظَنُّوا أن لا يَبقَى منَّا أحدٌ إلا ذُكِرَ فيها». أخرجه مسلم (٣٠٣١).

قال ابنُ عاشورٍ: «ولهذه السورةِ أسماءٌ أُخَرُ، وقَعتْ في كلام السلف، من الصحابة والتابعين؛ فرُوي عن ابن عمرَ، عن ابن عباسٍ: كنَّا ندعوها - أي سورةَ (براءةَ) -: «المُقَشقِشَة» - بصيغةِ اسم الفاعل وتاء التأنيث، مِن قَشْقَشَه: إذا أبرَاه مِن المرضِ -، كان هذا لقبًا لها ولسورة (الكافرون)؛ لأنهما تُخلِّصان مَن آمن بما فيهما من النفاق والشرك؛ لِما فيهما من الدعاء إلى الإخلاص، ولِما فيهما من وصفِ أحوال المنافقين ...

وعن حُذَيفةَ: أنه سمَّاها سورة (العذاب)؛ لأنها نزلت بعذاب الكفار؛ أي: عذاب القتلِ والأخذِ حين يُثقَفون.

وعن عُبَيد بن عُمَير: أنه سمَّاها (المُنقِّرة) - بكسرِ القاف مشدَّدةً -؛ لأنها نقَّرتْ عما في قلوب المشركين...». "التحرير والتنوير" (10 /96).

وقد بلغ عددُ أسمائها (21) اسمًا في موسوعة "التفسير الموضوعي" (3 /187 وما بعدها).

* أمَر عُمَرُ بن الخطَّابِ رضي الله عنه أن يَتعلَّمَها الرِّجالُ لِما فيها من أحكام الجهاد:

فقد كتَب عُمَرُ بنُ الخطَّابِ رضي الله عنه: «تعلَّمُوا سورةَ براءةَ، وعَلِّموا نساءَكم سورةَ النُّورِ». "فضائل القرآن" للقاسم بن سلَّام (ص241).

جاءت موضوعاتُ سورة (التَّوبة) على الترتيب الآتي:

1. نبذُ العهد مع المشركين (١-٢٤).

2. غزوة (حُنَين) (٢٥-٢٧).

3. قتال أهل الكتاب لفساد عقيدتهم (٢٨-٣٥).

4. تحديد الأشهُرِ الحُرُم (٣٦-٣٧).

5. غزوة تَبُوكَ (٣٨- ١٢٧).

6. صفات المؤمنين، وعقدُ البَيْعة مع الله تعالى.

7. أنواع المنافقين، والمعذِّرون من الأعراب.

8. صفات المنافقين والمؤمنين، وجزاؤهم.

9. أصناف أهل الزكاة.

10. فضحُ المتخلِّفين عن الجهاد، وصفاتهم.

11. النفير العام، والجهاد في سبيل الله.

12. علوُّ مكانة النبيِّ عليه السلام (١٢٨-١٢٩).

ينظر: "التفسير الموضوعي" لمجموعة من العلماء (3 /178).

إنَّ مقصدَ السورة الأعظم أبانت عنه أولُ كلمةٍ في السورة؛ وهي {بَرَآءَةٞ} [التوبة: 1]؛ فقد جاءت للبراءةِ من الشرك والمشركين، ومعاداةِ مَن أعرض عما دعَتْ إليه السُّوَرُ الماضية؛ مِن اتباعِ الداعي إلى الله في توحيده، واتباعِ ما يُرضيه، كما جاءت بموالاةِ مَن أقبل على الله تعالى، وأعلن توبته؛ كما حصَل مع الصحابة الذين تخلَّفوا عن الغزوِ، ثم تاب اللهُ عليهم ليتوبوا.

ينظر: "مصاعد النظر للإشراف على مقاصد السور" للبقاعي (2 /154).